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ススキノについて

関東以北最大の歓楽街ススキノ。地下鉄や市電の駅名にはなっていますが、正式な地名ではなく、表記も「ススキノ」、「すすきの」、「薄野」とまちまちです。また、このエリアの正確な定義もなく、概ね中央区南3条〜南8条、西1丁目〜西6丁目となっています。

コロナ禍以前は4,000軒以上の飲食店や風俗店がありました。現在は3,500軒程度といわれていますが、新規開業する店舗が徐々に増えています。治安が良く、飲食店や風俗店が同じビル内に営業しているのが特徴で、ススキノ交差点の近隣にはススキノ交番があります。近年ススキノにホテルが多数建設されたため、観光で訪れた際はススキノに泊まって、深夜までゆっくりと飲食を楽しむという傾向にあります。サラリーマンやオヤジたちの聖地というイメージがありましたが、最近は若い男女が増え街の雰囲気やイメージも変わってきています。

この街の安全や活性化を目的としたボランティア団体が多数あり、すすきの観光協会、クリーン薄野推進協議会、すすきの暴力団排除モデルビル協議会、札幌薄野ビルヂング協会などが北海道警察や札幌市と協力しあって治安維持や観光促進に努めています。しかしながらいまだに「客引き」や「ボッタクリ店」があるのも事実ですので、初めて訪れる店の場合はSNSやすすきの通信で店舗情報を確認してから利用するのが安心です。



ススキノ2大イベント

すすきの祭り

毎年8月第1週の木・金・土曜日の3日間に渡り開催され、2024年で第60回目を迎えます。毎回初日に行われる花魁道中御、迫力満点の神輿や太鼓演舞など伝統的な催しに加え、YOSAKOIソーラン踊り、ステージ上では楽器演奏やダンスなどさまざまなショーが行われます。また、期間中毎晩歩行者天国になる沿道では、焼鳥やおでんなどの飲食屋台約90軒が営業します。
 
 

すすきのアイスワールド

毎年2月第1日曜日から第2日曜日までの8日間、さっぽろ雪まつりのススキノ会場として開催され、世界中から訪れる多くの観光客で賑わいます。メインストリートである駅前通りには、約60基もの氷像が造られコンクールも行われます。完成度の高い煌びやかな氷像を造るのは、主にホテルのレストランで働く調理師で構成される日本氷彫刻会のメンバーです。
 

ススキノ名物料理

ラーメンスープカレージンギスカンは、どの店もレベルが高く、好みはあれどハズすことは少ないでしょう。そしてなんといっても海鮮料理で、寿司屋はもちろん北海道産の新鮮な魚介類を使った居酒屋がたくさんあります。低料金の店から高級店まで、自分に合った満足できる店が必ずあるはずです。

ススキノの歴史は遊郭からはじまった

1869年(明治2年)に明治政府が北海道の開拓を進めるため開拓使を置き、蝦夷地を北海道と改めてからおよそ150年。当時開拓使は、未開の原野を拓くため街づくりに従事する労働者を本州から呼び寄せました。その数は数万人。ところがそれだけ多くの人々を集めたのはよいものの、娯楽がなく定住する者が極端に少ないという問題が発生しました。過酷な環境ではしっぽを巻いて逃げる者が多かったはずです。治安も徐々に悪化し婦女暴行も横行していました。

そんな中、1871年(明治4年)、北海道に赴任した官僚の岩村通俊は、娯楽がないという不満と性犯罪の問題が同時に解決できるのは遊郭こそほかならないと考えました。

まずは「東京楼」を、ススキノ(現在の南6条西3丁目付近)に誘致し、東京から多数の遊女を招きました。そこから遊郭は現在の南4・5条と西3・4丁目の2町4方へと勢いよく広がっていくことになります。やがて現在の赤レンガ庁舎の北側にあった開拓使本庁からススキノに至る、札幌を貫く芯のような道路となる札幌駅前通りが開通すると、花魁道中さながらの遊女や芸者のパレードが盛大に行われたといいます。遊郭の一等座敷は室料だけで1円50銭。酒、菓子代など含め、一夜で2円ほど要したようです。当時の1円は現在の2万円程の価値があったと考えられています。

娼妓は年季奉公という形で働かされており、一定の年数を働いても郷里に帰れることはほとんどありませんでした。年季を明ける率は低く、大半が遊廓で生涯を終えています。当時の遊女たちを偲ばせるものとして、豊川稲荷(南7条西4丁目)の境内に、「高砂楼」や「昇月楼」などのほか芸妓の名前が刻まれた玉垣や門柱がいまもなお残されています。
 

歓楽街の礎

大正時代には経済向上にともない札幌の人口も増え、市街地の発展にもともない遊廓がススキノ外へ移転となりました。遊廓のあった場所には大きな料亭などができ、伊藤博文をはじめ日本の政財界のトップが次々と来札し、夜を楽しむとともに政談・商談が盛んに行われるようになりました。その後、料理屋やカフェ、バーなどの飲食店などが建ち並ぶようになり、「美満寿館」、「西田座」という2つの劇場(映画館)も新たに誕生しました。現在のススキノのネオン街の基礎は、おおよそ遊郭移転後の大正末期に芽生えたもののようです。

昭和に入ると、飲食店の数がさらに増加しました。1930年(昭和5年)頃には札幌市内のカフェやバーは約450軒と料理屋の倍以上の軒数にのぼり、その大半はススキノに集中していました。女給(カフェやバーの女性給仕で、現在のホステスにあたる)も約800人を数え、ススキノの人口も飛躍的に増えていったのです。一般客の獲得にも成功し、ススキノは北日本を代表する歓楽街としての地位を確立していくこととなります。
 

新しい街づくり

1960〜70年代は、冬季オリンピックを控え、現下の発展を支える多くの都市施設が整備されました。駅前通りの拡幅にはじまり、地下鉄南北線の工事、さらには地下街がつくられるなどダイナミックな建設が行われ、同時にビルが次々と誕生しました。駅前通沿いを中心に店舗のビル化が重点的に行われ、今日の街並みを形成。これにより居酒屋、スナック、クラブなど飲食店の店舗数が爆発的に増えました。

1980年後半〜90年代、バブル景気に沸くススキノは飲食店が5,000店を超えていたといわれ、今も語られる「都市伝説」のような話がいくつも存在しており、街は活況を呈しました。そのなかでビルに対する需要はますます増大し、規模も大きくなり、高層化し、防火・防犯など安全面においても対策が施された。こうしてビルはススキノ、そして札幌の街づくりのための社会的役割を担っていったのです。

2020年、ススキノはコロナ禍に直面するもホテル建設ラッシュが進み、ビルの間に挟まれた空き地や駐車場が徐々に変貌を遂げています。さらに「札幌・すすきの駅前の複合開発」が着工され、ススキノ交差点に所在したススキノラフィラ跡地(中央区南4条西4丁目)には、ホテルやシネマコンプレックス、商業店舗からなる大型複合施設「COCONO SUSUKINO」が2023年11月30日にオープン。すすきの交番の建て替えも行われ、ススキノの街並みは大きく様変わりをみせています。


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